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絶対的な力。

絶対的な力への抵抗。絶対的な力への服従。

 

自分の人生は選択の連続の上に成り立つ総体であると思うんだけど、これは自分の意思によるものではなく、何か別の大きな力にそうなるように仕向けられているのではないかという疑念がある。

この世界の出来事が全て偶然に引き起こされているものだと、本気でそう信じ込むことは僕にはできない。

世界なんて、大それたものにしなくても、僕一人にしてもそうだ。

僕は、金持ちでもないし、何か優れた能力もない。

どこにでもいるサラリーマンの一人だ。

だが、僕はそれでも上手く出来すぎていると感じる。

まず、生まれたこと。

そして日本に生まれたこと。

学校で教育を受けることができたこと。

仕事をもらえていること。

 

様々な人の影響を受けながら、僕は選択してきた。

その選択の結果、今の僕がある。

でも、確かに、僕の選択ではあるのだけれど、

その選択肢も、僕がどう選択するのかも、何か大きな存在に規定されているようなそんな気がする。

いや、そうであってほしいと思っているのかもしれない。

僕はただ、自分の選択であったことを認めることによってその責任を負うのが怖いだけなのかもしれない。

そもそも、何か大きな存在は、規定などしていないか。

もしそのような存在がいるならば、規定などではなく、気まぐれなのだろう。

ただの遊び。

絶対的な力で、世界を、人間を、思う通りに動かし、その全てを終着点すらも決定できる。

自らの思う通りにことが流れるのって僕ら個人にとっても快感だろう?

仕事が自分の思う通りにことが運び成功を収める。

スポーツにおいて計画した通り、作戦が上手くいき勝利を収める。

どれも、快感を感じるはずだ。

 

持ちうる力が大きくなればなるほど、その規模が膨張するだけの話。

絶対的な力。

その傘の中で生きていくこと。

それは、悲しいと思う人もいるかもしれないが、

僕にとっては、その力の中で生きていく方が相応しいし、その方が恐らく僕は僕であれるのだと思う。

 

中村文則さんの「掏摸」を読んで、絶対的な力と自分について考えてみた。

また、読みたいと思う。