読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

強さ

僕は強くなりたかった。

強さにも種類がある。

身体的強さや精神的強さ。

これらもまた様々な強さに分類することができる。

僕が欲しかった強さは精神的強さだ。

思えば僕は中学生までは自分に多少なりとも自信があった。

中学生の頃は学力も学年で上位の方であったし、自分でも学業にしっかり取り組んでいたと今でも自信を持って言える。

転換期は高校進学だ。

地域の進学校に進学したが、そこには各学校で上位にいた生徒が集まっていた。

僕はその中では平凡であり、むしろ劣っていた。

それからだ。

僕は自分に自信がなくなった。

何故か人と話すのも苦手になり、いつも下を向くようになった。

学業からも目を逸らすようになった。

「自分はこの程度の人間なのだ」と言う考えが頭の血管を巡るように凄まじい血流となり支配した。

 

そうは言っても大学に進学し無事に就職もできた。

大学生活で、今の自分を受け止め折り合いをつけながら生きる術を多少なりとも身につけることができたからであると思う。

今回はその話は省略する。

 

話は戻るが、僕は精神的に強くなりたかった。

具体的に言うと、多少の問題が起きても動揺せず淡々と解決策を打ち出し対処できる精神的余裕を持ち自分だけでなく誰かのために自分の力を生かせる自信が欲しかったのである。

これは今でも変わらない。

やはり形成された性格は簡単に変わらないようだ。

 

しかしながら、この壁をどうにかしなければおそらくこのままの自分で生涯を終えることになると気づいてはいる。

頑張ろう!と意気込むと毎日が重苦しく僕にのしかかってきて僕は身動きできなくなり呼吸すら苦しくなることを経験している。

本当はそれを乗り越えないといけないのかもしれないが、そうすると人間活動を継続することさえ危うくなる。

ではどうするか?

 

そうしたストレスと上手く付き合うことができなかったから今の自分がいるのである。そもそもストレスとは何か?

広辞苑には「種々の外部刺激が負担として働くとき,心身に生ずる機能変化。ストレスの原因となる要素(ストレッサー)は寒暑・騒音・化学物質など物理化学的なもの,飢餓・感染・過労・睡眠不足など生物学的なもの,精神緊張・不安・恐怖・興奮など社会的なものなど多様である」とある。

 

「外部刺激が負担として働く」

どのような外部刺激が負担になるかは、個人によって異なるだろう。

外部刺激がそもそも負担になるのは感情がそこに介入するからではないか。

不安や恐怖を感じるからではないか。

 

そこで僕は「無」を体現しようとしている。

外部刺激に対して感情の介入を極力減少させることで刺激を単なる事象として捉え処理し最良の対処方法を導き出す。

これが実現できれば精神的動揺はなくなるだろう。

 

 

しかし、その「無」を体現した時に僕がまだ人間と言えるのかどうかは定かではない。