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新しいこと。

こんにちは。

 

最近、何か新しいことを始めたいと思っている。

東京での生活や仕事にも慣れてきたので、毎日が単調になってきている気がする。

単調な生活は、ある意味不要なストレスを感じる機会が少ないことでもあるから悪いというわけではないのだけれど、新たな取り組みを行うことで今よりもさらに素晴らしい生活を手に入れることができる可能性もある。

今まで生きてきてさすがにリスクを負わなければ何かを得ることはできないということは分かったので、思い切って飛び込んでみるのもいいかと思っている。

 

そこで、

 

ハンドボールをやろうと思う!笑

 

いや、何でハンドボールかと言うと高校時代にハンドボール部に所属していたからなのだけれど、大学には部はなかったし社会人チームに入るという発想はなかったからそれっきりになってたんだけど、久々にやりたくなってきた。

というか社会人になってからだいぶ太ってしまい、スポーツをやりたかった。前からハンドボールの社会人チームをネットで調べてみたりしていたんだけど、余裕がなかったのとチームの練習に参加する勇気が出なかったので先送りにしていた。

偶然、美容室の店員さんもハンドボールをやっていたようで社会人チームの話しも聞けたので勇気を出してチームの練習に参加してみようかなと。笑

 

もはやシューズも捨ててしまったので、新しいシューズを用意する必要があるので、

先日、代官山のハンドボールシューズを取り扱っている店に行ってきた。

雨の中、一時間自転車漕いで。笑

 

かっこいい!と思うシューズがあったので、買おうかと思ったのだけれど、サイズがなく取り寄せて28.0cmと27.5cmを履き比べてから購入することに。

四月末くらいに店舗に届くらしいので、ハンドボール再デビューはまだ先になりそう。

強さ

僕は強くなりたかった。

強さにも種類がある。

身体的強さや精神的強さ。

これらもまた様々な強さに分類することができる。

僕が欲しかった強さは精神的強さだ。

思えば僕は中学生までは自分に多少なりとも自信があった。

中学生の頃は学力も学年で上位の方であったし、自分でも学業にしっかり取り組んでいたと今でも自信を持って言える。

転換期は高校進学だ。

地域の進学校に進学したが、そこには各学校で上位にいた生徒が集まっていた。

僕はその中では平凡であり、むしろ劣っていた。

それからだ。

僕は自分に自信がなくなった。

何故か人と話すのも苦手になり、いつも下を向くようになった。

学業からも目を逸らすようになった。

「自分はこの程度の人間なのだ」と言う考えが頭の血管を巡るように凄まじい血流となり支配した。

 

そうは言っても大学に進学し無事に就職もできた。

大学生活で、今の自分を受け止め折り合いをつけながら生きる術を多少なりとも身につけることができたからであると思う。

今回はその話は省略する。

 

話は戻るが、僕は精神的に強くなりたかった。

具体的に言うと、多少の問題が起きても動揺せず淡々と解決策を打ち出し対処できる精神的余裕を持ち自分だけでなく誰かのために自分の力を生かせる自信が欲しかったのである。

これは今でも変わらない。

やはり形成された性格は簡単に変わらないようだ。

 

しかしながら、この壁をどうにかしなければおそらくこのままの自分で生涯を終えることになると気づいてはいる。

頑張ろう!と意気込むと毎日が重苦しく僕にのしかかってきて僕は身動きできなくなり呼吸すら苦しくなることを経験している。

本当はそれを乗り越えないといけないのかもしれないが、そうすると人間活動を継続することさえ危うくなる。

ではどうするか?

 

そうしたストレスと上手く付き合うことができなかったから今の自分がいるのである。そもそもストレスとは何か?

広辞苑には「種々の外部刺激が負担として働くとき,心身に生ずる機能変化。ストレスの原因となる要素(ストレッサー)は寒暑・騒音・化学物質など物理化学的なもの,飢餓・感染・過労・睡眠不足など生物学的なもの,精神緊張・不安・恐怖・興奮など社会的なものなど多様である」とある。

 

「外部刺激が負担として働く」

どのような外部刺激が負担になるかは、個人によって異なるだろう。

外部刺激がそもそも負担になるのは感情がそこに介入するからではないか。

不安や恐怖を感じるからではないか。

 

そこで僕は「無」を体現しようとしている。

外部刺激に対して感情の介入を極力減少させることで刺激を単なる事象として捉え処理し最良の対処方法を導き出す。

これが実現できれば精神的動揺はなくなるだろう。

 

 

しかし、その「無」を体現した時に僕がまだ人間と言えるのかどうかは定かではない。

 

 

 

 

 

 

樹木

僕は立っている。

どれほどの年月をこの場所で過ごしてきたのだろうか。

いつしか数えることもやめてしまった。

辺りを見渡しても何もない。

ひたすらに白い世界である。

右人差し指を動かそうとするが、長い年月動かなかったせいかまるで動かない。

足はどうだろうか。まるで地面に強く根を張るがごとく動かない。

しかし、思考だけは働く。

 

無駄に働く頭の中で、自分は樹木になったのだと思った。

思えば僕は樹木のような人間に憧れた。

僕の樹木へのイメージはこうだ。

 

1、しっかり地面に根を張りどっしりと構えている力強いイメージ

2、大きな葉をつけ木陰を作り生物が拠り所とできる包容力の象徴

3、長い年月を同じ場所で過ごし来るもの拒まず去るもの追わず。孤独を恐れぬ存在

 

そうか、僕の夢が実現したのか。僕はそう思った。

しかし、なってみると退屈なものである。

白い世界でただ一本そびえ立つ樹木になったところで僕が憧れた樹木になれたと果たして言えるのだろうか。

本当に他に何も存在しない世界では僕のイメージする樹木は存在できないのではないか。

 

では、僕は何になったと言うのだ。

分からない。

樹木のような人間になりたかった。

しかし僕は今、樹木でもなければ人間でもない。

 

樹木のような人間になるにはどうしたらいいか。

僕は何かに祈るように目を閉じて深呼吸をした。

先に樹木になるべきか。それとも人間になるべきか。

 

僕は樹木が好きだ。でも僕自身が樹木になった時僕は樹木を好きでいられるのだろうか。分からなかった。

僕は今「樹木なのか人間なのか分からない何か」であり、その僕は樹木が好きという感情を持っている。

では、人間になることにしよう。そうすれば僕はこれからも樹木が好きでいられる可能性が高いだろう。

 

真っ白な床から生える足に視線を向ける。

この一歩が人間と樹木が繋ぐ偉大な一歩になるのである。

 

僕は歩き始めた。

白いこの世界に色を加えいつかまたここで樹木のような人間としてそびえ立つために。

 

この歳になってようやく本を読むようになった。

今までも読書をしようと思い立ったことはあったが長続きすることはなかった。

しかし、社会人になって多くの壁に遭遇しそれを乗り越えることを迫られた時に僕は自然と書店に行くようになった。

最初は自己啓発本のコーナーによく足を運び自分の意識を変えることができそうな本を探した。まずは、具体的な技術よりも「頑張らなくては!」という意識を根付かせることを大切にした。

そのうち自分の生活スタイルを改めようと思い何気なく手に取ったミニマリストの本。

何かに取り憑かれたように物を捨てた。

今は必要な物は買いたしながら余計な物は買わないように心がけている。

このように、本を読むことで自分に少しでも変化を与えることには成功した(僕が影響を受けやすいだけなのかもしれないが)

 

しばらく自己啓発本やビジネス書を読んでいたが、久々に小説が読みたいと思った。とある本で太宰治著の「人間失格」が紹介されていた。

人間失格」はよく耳にするが今まで読んだことがなかった。

そこでまずは「人間失格」を読んだ。

今では他の作家の本も時間を見つけては読んでいる。

 

少しづつだが、読書が習慣になりつつある。

小説を読んでいる理由に、特定の状況や人間の感情をより相手にイメージしてもらうためにはどのような言葉で表現する方法があるのか知りたかったからである。

 

そして、

本を読んでいる時は時間を忘れることができる。

本は孤独から人を解放してくれる。

文字を目で追っている時は確かに僕は物語の世界にいて登場人物が僕の周りを囲み笑いかけてくれているのである。

 

 

本との出会いは孤独との別れであると僕は思う。

 

 

椅子

自宅に椅子がある。

ベージュのガススプリング式の椅子だ。

肘掛は別売りで、特に必要ないので購入していない。

購入の経緯としては、購入した折りたたみ式の机に付属していた椅子があまりに簡素でクッション性もなく長時間腰掛けていると臀部がジリジリと痛くなってくるからである。

できるだけ、質素でなおかつ機能的な椅子を探していた。そんなある日なんとなく通販サイトを眺めていた時運命的な出会いを果たすのである。

これしかないと僕は思った。

いくつかの店舗に電話をしたが在庫はないという。その中で展示品ならあるというので足を運び、ついに対面を果たした。

それはなんとも質素で洗練された美を表現していた。

僕の視界は突如としてぼやけた。その中でその椅子だけははっきり見える。

今、僕は椅子と視線があった気がした。

時間が停止したように生唾を飲むことすらできない。

足がゆっくりと前に動く。一歩一歩確実に椅子へと近づいていく。

椅子に腰掛けた時、イメージできた。

 

今日は、休日。

カーテンの隙間から射す光に覚醒を促されまだ少しばかり気怠い身体を起こしてお湯を沸かす。いつものようにコーヒーをカップに注ぐ。カップを持って僕は椅子に腰掛ける。少し熱いコーヒーに慎重に口を付ける。喉に熱い刺激が走る。一息つくと僕は読みかけの小説の文章に目をやる。

小説にこんな文章があった。

「物は自らの分身であり、それは身体の一部と言っても過言ではない」

 

その時椅子に座っていることを僕は忘れていた。

身体の一部であると認識していたのだ。

なるほど、言うとおりだ。僕はそう思った。

 

 

「お客さん!寝られちゃ困るよ!」

突如降りかかった声に身体をビクつかせ振り返る。

店員が困り顔で腕を組んで立っている。

あれからどのくらい時間が経過したのだろうか。

どうやら僕は眠ってしまっていたようだ。

 

では、先ほどの自宅の光景は夢、、、?

それにしては現実味のあるはっきりとした夢だった。

まるで現実のような。

 

僕は、迷わずこう言った。

「店員さん、この椅子配達可能ですか?」

 

店員は、溜息を吐いて微笑した。

 

 

 

 

 

白、黒、壁。

僕は壁を見つめている。

布団の上で胡座を組んで僕は珈琲を一口飲む。

僕は壁を見つめている。

僕の自宅の壁は白い。

壁の前には白い冷蔵庫に黒いクロスバイクがお互いを睨むように置かれている。

白と黒で構成されている僕の自宅で最も白を持っているのは壁である。

僕の自宅で最も存在感があるのは壁なのである。

僕はその壁に塗られた白に圧倒される。

 

僕は夜が好きだった。

夜は黒い。

僕は服装も黒を好んで着ていた。

全身黒で飾っていたせいか他者に痛い視線を向けられることもあった。

そして、僕の内的世界も黒かったと思う。

白とは対極にある内的世界が僕の中には広がっていた。

前に進もうと足掻いているのだけど足は泥にまみれてぬかるみに足を取られて前に中々進まない。光はたまに顔を見せてはすぐに消える。暗い黒の中だったから他者に見られることはなかった。

僕は黒かった。

でも黒が好きだったのである。居心地も良かった。

白は全て見られているようで耐えられなかった。

しかし、そんな白を纏える人に憧れた。

自分をさらけ出せる人物に憧れた。

 

今の僕の自宅は黒と白が多いが半分以上が白で塗られている。

僕の内的世界が白に変わりつつあるのかもしれない。

自らをさらけ出すことが少しづつ出来るようになったのかもしれない。

 

僕は今、壁を見ている。

壁が僕を見ている。

壁と視線があった。

壁はニヤリと笑う。

どうしたことだろう。壁が近づいてくる

黒のクロスバイクも床も飲み込み白に変えながら僕の目の前で壁は止まった。

壁は言った

「白に変わることは解放ではない、我々が真に自由でいられるのは黒を持ち合わせてこそなのである」

僕は、ごくりと唾を飲み込み目を閉じた。

 

 

歳老いたと感じる

最近、歳を取ったと感じる。

例えば、僕は昔に比べて随分と涙腺が緩くなった気がする。

小説を読んで泣き、アニメを見ても泣き、何もないのに泣き、

本当に泣いてばかりいる。それだけ出来事に対して感動できる感性が磨かれただけなのかもしれないが、明らかに昔より泣いている。

まあ、泣くと割と気分が晴れ晴れするので悪くはないのだけれど。

 

あとは、あまりワクワクしなくなった。

これが僕にとっては致命的な打撃である。

日常が非常に色褪せて見える。

昔はそんなことはなかった。

自分には特別な力があり、特殊な人間だと信じていた(痛いヤツでした)

そして漠然と未来に希望があり、なんでも出来る気がしていた。

いつからだろうか、未来に対して希望を持つことが出来なくなり淡々と日々を過ごすようになったのは。よく昔は読んだ漫画の主人公になりきって無限に妄想の世界を作り出していたのに(1週間くらいは妄想してたな)

 

大人になるってこう言う事だったのかな。

こんなんだから、非現実的なアニメや小説を読んで涙を流す機会が多くなったのかな。

どんなに手を伸ばしても届かない世界への憧れが涙として流れているのだろうか。

 

ただ、

昔ほどこの世界に希望を持てなくても、

それでも僕は生きるしかない。

もしかしたら、今の自分も昔の僕の妄想の世界の僕かもしれないし。

この妄想が終わったらまた奇想天外な妄想が始まるかもしれないだろ?

 

そう思うと、少し心の空虚感が消える気がする。