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人生のお供。

本が届いた。

 

ブックオフオンラインを利用し、計六冊の本を購入した。

全て、中村文則さんの著作である。

・悪意の手記

・あなたが消えた夜に

・去年の冬、君と別れ

・王国

・迷宮

・悪と仮面のルール

 

悪意の手記を読み始めている。

本当に、久しぶりに、小説にのめり込んでいる。

文字が頭に入ってきて、必死にその意味を理解しようと回転しているのが実感できる。

読書を特別なものとして崇拝する気もないし、好きなら読めばよくて、嫌なら読まなくてもいい。小説も基本的には娯楽であると思っているし、そこに何か価値を付加するかどうかは読み手次第。

僕が、娯楽以外の付加価値を小説に設けるとしたら、安堵と興奮をもたらすもの、であると思う。

小説の物語に登場する人物の思考や感情に、自分を垣間見た時、安堵とそして興奮を覚える。

僕だけではなかった。この実感は言葉では表せない安堵をもたらす。

そして、同時に興奮を覚える。自分だけではない、仲間との思わぬ遭遇に歓喜を隠しきれない。

僕にとって、小説とはそういうものである。

ああ、あとは、なぜ、この人物はこのような場面でこのような感情を抱いたのかという疑問を吟味する。自分がこの場面の当事者だったらどうだろうか、と思考する。

 

と、ごちゃごちゃ書いたが、面白いから読む。

理由はそれだけで十分だろう。

金もあまりかからないし、本当に夢中になった時など、時間さえ忘れることができる。

 

趣味があまりない、僕にとっては人生のお供になるかもしれない。

 

 

 

 

絶対的な力。

絶対的な力への抵抗。絶対的な力への服従。

 

自分の人生は選択の連続の上に成り立つ総体であると思うんだけど、これは自分の意思によるものではなく、何か別の大きな力にそうなるように仕向けられているのではないかという疑念がある。

この世界の出来事が全て偶然に引き起こされているものだと、本気でそう信じ込むことは僕にはできない。

世界なんて、大それたものにしなくても、僕一人にしてもそうだ。

僕は、金持ちでもないし、何か優れた能力もない。

どこにでもいるサラリーマンの一人だ。

だが、僕はそれでも上手く出来すぎていると感じる。

まず、生まれたこと。

そして日本に生まれたこと。

学校で教育を受けることができたこと。

仕事をもらえていること。

 

様々な人の影響を受けながら、僕は選択してきた。

その選択の結果、今の僕がある。

でも、確かに、僕の選択ではあるのだけれど、

その選択肢も、僕がどう選択するのかも、何か大きな存在に規定されているようなそんな気がする。

いや、そうであってほしいと思っているのかもしれない。

僕はただ、自分の選択であったことを認めることによってその責任を負うのが怖いだけなのかもしれない。

そもそも、何か大きな存在は、規定などしていないか。

もしそのような存在がいるならば、規定などではなく、気まぐれなのだろう。

ただの遊び。

絶対的な力で、世界を、人間を、思う通りに動かし、その全てを終着点すらも決定できる。

自らの思う通りにことが流れるのって僕ら個人にとっても快感だろう?

仕事が自分の思う通りにことが運び成功を収める。

スポーツにおいて計画した通り、作戦が上手くいき勝利を収める。

どれも、快感を感じるはずだ。

 

持ちうる力が大きくなればなるほど、その規模が膨張するだけの話。

絶対的な力。

その傘の中で生きていくこと。

それは、悲しいと思う人もいるかもしれないが、

僕にとっては、その力の中で生きていく方が相応しいし、その方が恐らく僕は僕であれるのだと思う。

 

中村文則さんの「掏摸」を読んで、絶対的な力と自分について考えてみた。

また、読みたいと思う。

 

 

 

もう少し、考えてみようか。

仕事には自分なりの哲学が必要だと思う。

 

喉が渇いたのでコーラを買いにぼんやり外を歩いていた。

夕暮れ時なので少し外はオレンジ色で、昼間に比べると程よい気温だった。

先ほどの反省も生かして半袖で外に出たけど、風もなく肌を優しく空気が流れていくようだった。

今、日曜日の16:00~17:00にこの穏やかな街を歩いているんだなあ、と考えていた。

 

ふと、仕事のことを思い出した。

なんで休みの、しかもこんな穏やかな暖かい日に仕事のことを思いだすのか!と舌打ちしたくもなったが、社会人になったのだから仕方ない。

僕にとって、仕事が生活の大部分を占めているのが現実である。

 

僕は、仕事には自分なりの、専門職なら専門職としての哲学が必要だと思う。

なんでこんなことを僕が考えるかと言うと、僕が自分の仕事の専門性を上手く言語化できないのが原因だと思う。

専門職ってのは何か資格を持っていないとできない仕事だったりすることが多いけど、僕も資格をもっており、その職種として仕事をしている。

 

しかし、僕の持つ資格は業務独占ではなく名称独占なので、僕の行う業務は別に僕が持つ資格を持たなくても行って良いということである。もちろん、資格がないのでその資格者として勤務することはできないし、名前も使ってはいけない。

 

だが、資格がなくてもできないわけではない。そのようになっているわけである。

正直、僕はずっとこれが嫌だった。

しかし、皆、自らの専門性を語っている。それが凄く滑稽に見えた。

僕の頭にはいつも、「だけど業務独占ではない、それって専門性が認められていると言えるのか。」という考えが浮かび上がり、相手の言葉に同意することはできなかった。

 

と、まあ、このようにごちゃごちゃ考えていたのだが、単純に僕はまだ僕の仕事のことを知らないのだと思った。今日の夕方、空見てたらなんとなく、そう思った。

 

確かに、業務はある程度できるようになった。

でもそれはただ作業を覚えただけであって、その過程に僕の哲学や、専門職として有していなければいけない哲学を反映できていると自信を持って言えるのだろうか。

僕は、自分に問うて見たけど、自信を持ってうなづくことはできなかった。

 

技術を身につけることはもちろん大事なことだけど、もっと本質的な、もっと専門職としての核心の部分を僕は作っていかないといけないのだと強く思った。

 

ということで、勉強してきます。

 

 

 

 

 

 

 

気怠さが滲みる。

天気が良かった。

自転車で街へ出たのだけれど、行ったのはブックオフABCマートのみ。

ネットで欲しい本は購入しているので、特に目当てのものがあったわけではなかっただけど、一冊本を買った。

 

星野源のエッセイ。エッセイも面白いなと思ったので、購入した。

それにしても今日はとても暑かった。

半袖でもいいのではないかと思うくらいだった。

少し頭がクラクラしたので自販機でいつぶりに飲むのか分からないスポーツドリンクを飲んだ。

 

今日は、やる気が起きない。

寝るか。

食べる。

過食。

 

これ、すごく困ってる。

なんでかな。なんでだろ。食べ過ぎるんだよな。

口に食べ物入れて、咀嚼して、飲み込んで、食道をどろりと流れ落ちていく感覚がとても落ち着く。

しかしながら、僕も歳だから、あまり不摂生をしてはいけないわけだ。

基本、朝は食べない。昼は菓子パン一個。夜は炒め物。

これが基本なんだけど、夜の食事量が多くなる傾向がある。

そして分かっていながら食べる量をコントロールできない。

間食もしてしまうし。

 

なぜか、お腹いっぱいにしておかないと胸のどっかが寂しい感じがする。

何か、食べる以外に夢中になれることを、作らないといけないのかな。

読書とか、最近は結構熱心なんだけどな、

やっぱり、スポーツかな。

早くシューズ欲しいなあ。

月末だからな、買えるとしても。

ん、でも身体を動かしたら余計に腹減るんじゃね?

でもカロリー消費してるからいいのか?

 

うん、分からん。

暗い部屋では黒い自転車は見えない。

部屋を真っ暗にしている。

なんとなくであり、特に意味はない。

真っ暗な部屋で音楽をかけ、PCのキーボードを叩く。

聞いている音楽はV系バンドの曲である。

中学から大学の中頃までV系バンドに夢中だった。

なぜにあんなに夢中だったのか、若干疑問であるが、

多分、派手な衣装や綺麗なメイク、過激な曲や暗い曲など世間一般で流行っているものではないものを求めていた節はあると思う。

他とは何か違うものが欲しかったのだと思う。

 

それで大学中頃からしばらくV系は聴かなくなったのだけれど、

ここ最近、また少し聴き出した。

何だか、昔を思いだす。

僕の青春の一部分であるのは間違いないと思う。

 

夜に聴く音楽って昼間に聴く音楽より風情があるのはどうしてなんだろう。

父も夜に聴く音楽はいいと言っていたけど、本当にそう思う。

なんだか、その音楽の力が何倍にも膨張するようだ。

まあ、逆に昼間に聴くとよく聴こえ音楽もあると思うけど。

 

 

自転車で遠くに行きたい。

先週も一時間以上も自転車に乗って遠出した。

やっぱり気持ちいい。普段の自分には決して出せないスピードを自転車は実現してくれる。

あの風の中で自転車に乗っている時だけは、誰よりも先に進んでいるような気がする。

これもママチャリでは実現できなかったことだと思う。

知り合いに常々、クロスバイクロードバイクに乗れば世界が変わると言われていたけど、まさかここまでママチャリと違うとは思わなかった。

軽いし、早いし、坂も楽々上がっていける。

どこまでも行けるような気がする。

毎日、通勤にも使用しており既に自分の生活になくてはならないものになっている。

こういう愛着を持って使用できるものだけに囲まれて生きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

休日。

休日だった。

行ったことと言えば、昼食を作り、コーヒーを飲みながら本を読んだぐらい。

ああ、あとはジャズを聴いた。

チェット・ベイカーの演奏は凄く心地良かった。

僕が思う心地良い曲っていうのは、空間に溶け込む違和感ないものかなと思う。

ある意味意識されないような、自然な、ものな気がする。

 

それで、本も読んだのだけど、今読んでいるのは中村文則さんの掏摸という小説。

ここ最近、中村文則さんの小説ばかり読んでいる。

僕には珍しく一人の作家の本ばかり読んでいる。

 

何でかと、問われると答に迷うのだけど、

正直、登場人物の人格や行動には共感、理解できない部分も多いのだけれど、その中に共感できる、理解できる部分があるのも事実で。自分のこの作家の本への共感や理解は他の本からは中々得られないような、そんな気がするので惹かれているのかもしれない。

まあ、言うほど色んな作家の本を読んでいるわけではないので、分からないのだけど。

とにもかくにも、そんな休日だったわけである。

 

ふと、本当にふと、思うんだけど、

日が経つにつれ、徐々に自分の色が薄くなっていく気がする。

なんかぼやけてきているというか、味気ないものになっているそんな気がする。

この平坦な、その先にあるものは魂の転落だと思うと、力が入らないし、

この年齢になると、やはり先が分かってしまうというか。

そう考えると、別に辛いわけでも悲しいわけでもないのだけど、

眼前にあった小さな光の筋が汚れて、薄暗い空間に閉じ込められた気分になる。

 

そんな気分を吹き飛ばすために、、

 

焼肉でも食べようと思う。笑